2009/12/30
他の惑星で
(December 2009, ・・・・・)
そこがどこかはわからない。他の惑星にいるようだ。砂と岩で覆われた乾いた大地。世界全体が砂岩のような色で空は青くない。この惑星に住人の姿は見えない。文明が存在するようにも見えない。生命を感じない場所。
何人かでチームを組んで歩いているが、メンバーの顔は見えない。探査に来ているのか?近くに他のチームが見える。その中に「きみ」を見つける。しばらく地表を歩いた後、私たちのチームは別の地点に飛ぶ(歩いてではなく、空中を移動したようだ)着いた場所でチームの中の一人と二人きりになっている。このとき、チームのメンバーたちに、なぜか家族のような懐かしさを感じていた自分に気づく。
私たち二人が着いた場所は、岩の中に掘り込まれた空間になっている。地球の古代人がつくった洞窟の住居に似ている。中に生活の痕跡はない。外にバルコニー状の岩棚がある。出てみると、そこに不思議な生き物(?)の姿がある。それは、腰掛けのような木でできた何かに体をあずけている。地球の軟体動物のような体。人間よりも大きく、その巨体はウミウシのような姿をしている。
私はそれを見ながら、その実体がここにはないことがわかっていた。それは意識を送ってきているだけで、言葉はなく、ただ、存在だけを伝えてきている。一緒にいるメンバーが、それに近づく。「?」、彼は子ども?いや、幼児?いつの間にか、ベビーカーに入るくらいの乳児になっている。次の瞬間、彼を見失ってしまった。緊急事態になった。他のメンバーを探さないといけない。
洞窟から離れメンバーを探して歩く。谷に架かる橋の下を数人が通り過ぎようとしている。その中に「きみ」の姿を見つけ呼び止める。「きみ」は現在の地球で生活している容姿をしている。今の「きみ」の名前で呼びかける。「きみ」は振り向き目が合う。しかし「きみ」は何も言わずに行ってしまう。「きみ」は私をさがしに、この惑星まで来たと、私の意識に直接伝えてきた。私はあたりを見回すが、「きみ」の後ろ姿を見送ることしかできない。
2009/12/15
POPOCATEPETL
(May 1996, Estado de Puebla, Mexico)
標高5,426m、ポポカテペトルはメキシコを代表する活火山だ。向きあうように聳える標高5,286mのイスタシワトル(IZTACCIHUATLE)とともに神話の山として知られている。アステカの王妃イスタシワトルと敵国の青年ポポカテペトルは恋におちるが、やがて対立する両国から追われる身となる。二人は厳しい逃避行をつづけ、自由の国を求め海をめざした。海に行くための極寒の山越。しかし、無情にも頂上で吹雪きにあい力尽きてしまう。山の民は二人を哀れみ、この山にポポカテペトルを、向かい合うもう一つの山にイスタシワトルを鳥葬した。そしていつしか、人は、この二つの山を二人の名前で呼ぶようになった。
ポポカテペトルは活発な火山だ。その日も噴煙が上がり、夕日に山のシルエットが鮮やかに浮かび上がり,雄大な影をおとしていた。
2009/12/14
Village Green
(July 2001, Acoma Pueblo, New Mexico, USA)
午前、土の竃に火がくべられる。食べるためには火をおこさないと
いけない。煤で真っ黒くしたら食べることが出来ない。竃の周りに
賑わいがうまれる。食べるための技術や知恵がリレーされていく。
Louis. I. Kahnは村の共有地のことをヴィレッジ・グリーンと名づけた。ヴィレッジ・グリーンはつどいの場所だ。人間はつどうことで学び、表現の欲求をみたす。Acoma PuebloやTaos Puebloでは、土でつくられた竃の周りがヴィレッジ・グリーンになっている。人々は竃の周りで収穫したトウモロコシをたたき、粉にし、その粉を練る。それを火にくべて主食のトルティーヤを焼き上げる。世代を超えた村人が竃の周りにつどい、話がはずむ。ヴィレッジ・グリーンは、知恵や技術を次の世代に伝えていく場でもある。
(July 2001, Taos Pueblo, New Mexico, USA)
ヴィレッジ・グリーンの多くが、食にかかわる営みを取り込むようにつくられてきた。現代の都市や宅地がどこかよそよそしいのは、そこに営みが共有される場所を見いだすことが難しいからだ。共有地の多くが公園などの修景施設でそれ以上のものではない。
歴史的な街や文化をひもといてみると、明日のヴィレッジ・グリーンが見えてくる。これからの街づくりにもとめられるヴィレッジ・グリーンは、どのようなものだろうか。その姿を描いてみたい。
2009/12/12
seed pot
(December 2005, my place, Tokyo, Japan)
シードポットには小さな穴が一つだけあけられている。このポットの表面には二匹のトカゲが歩いているが、一匹のトカゲの頭のところに小さな穴がある。この穴から種を一つずつポットの中に入れる。中が種で一杯になると、ポットは暗所で保管され種蒔きの季節を静かに待つ。種を蒔くときはポットから種を取り出さないといけない。しかし、どうやってこの小さな穴から種を取り出すのだろう。聞いてみると、なんとポットを割ってしまうという。
毎年毎年、新しいポットをつくり新しい絵を描き続ける。壊すことで新しいものを創るサイクルができあがっている。旅する者にとっては、そこにあるポットはたった一つしかなく、壊してしまえば永遠に失われるような気がする。しかし、彼らの心の中には変わることのないメッセージが生きつづけていて、消えることはない。冬に枯れて種をのこし春になると新しい命を芽吹く植物のように、彼らの芸術も自然のサイクルの中にある。
Acoma Pueblo
(July 2001, on top of a mesa, Acoma, New Mexico, USA)
アコマの集落はメサの頂上にある。アコマ・プエブロはおよそ千年前に拓かれた。現存するものでは、米国で最も歴史のある集落の一つだ。高さ112mの断崖の上につくられ、今でこそ車が通る道路がつながっているが、そこは地上と隔絶した世界であり、千年の時を耐え抜いてきた街の姿がある。
メサの頂上を歩き崖の縁まで行く。広大な大地をさらに大きな空が覆っている。地平線の向こうで真っ白な千切れ雲が次々とわき上がってはメサの上を通り過ぎて行く。地平線の手前にもう一つのメサがある。聞いてみると、アコマの人々はかつて、そのメサに集落を築いたことがあるという。昔、外敵の襲撃を受けたとき、彼らはこのメサを放棄し、もう一つのメサに逃れなければならなかった。そして今、再び先祖たちと共にこのメサに暮らしている。
(December 2005, seed pot, my place, Tokyo, Japan)
閉じられた世界、沈黙した時は、ときとして人に自らの内面に向き合う時間をくれる。そのような時間の存在がアコマにはあるのかも知れない。アコマは芸術の村である。人々は素晴らしい芸術の技を伝承し、今日も創りつづけている。彼らは、芸術を実用のためにつくり、人に気持ちを伝えるためにつくる。豊穣を願うシードポットや結婚を祝うウェディング・ポット。陶器は美しく彩色され、先祖から伝えられている絵柄が施される。その絵の一つ一つが言葉であり、メッセージになっている。絵の意味をたずねてみたが、なかなか教えてくれない。本来は言葉で伝えるものではないという。「一つだけ教えよう」彼はそう言うと、シードポットのトカゲを指差し、「long life」たった一つ言葉を音にした。
2009/12/11
青い色に
(July 2001, Acoma, New Mexico, USA)
ニューメキシコ州の都市アルバカーキから車で半時程南に走ると、赤く焼けた大地に聳えるテーブル・マウンテンが姿を現す。テーブル・マウンテンはメサとよばれている。地球が生きてきた悠久の時間を感じさせる象徴的な風景だ。メサの上には地上と隔絶された文化が今も息づいている。
村を歩くと、住居の窓や出入り口の周りが青い色で縁取りされていることに気づく。聞いてみると、出入り口の周りを青く塗っておくと家の中に悪霊が入ってこないと言う。青は魔除けに使われる色ということだ。
どうも青は特別な色らしい。日本でも古くから多くの人が青に魅せられてきた。いにしえの時代、人は想いを伝えるために青い玉を贈ったという。青は愛情を伝える色であり、大切な人の幸せを願う色だった。地球の反対側のアコマの美しい青につれられて、いつの間にか、遥か遠い古代の日本の連想を旅していた。
2009/12/10
街路
(June 1990, Centre Pompidou, Paris, France)
「つどい」は都市の本質だ。つどうことは人間の根源的な欲求から生まれる。人は自己を表現し、自分の中にある何かを伝え、人と共有したいと願う。その人間的な欲求から人はつどうようになり、つどいが始まった場所が街路となった。そして、街路が生まれたとき、都市の姿がつくられ始めた。街路は人がつくり出したもっとも人間的な場所であり、人間がつくった最初の空間だ。
現代都市の中では「つどい」の場所をみつけることが日々、難しくなっている。そのことに反比例するように人とつながりたいという欲求は強くなっていく。街を歩いていて気づかされるのは、そこには道路はあるが街路は無いということだ。
2009/12/06
Simple Shaker Style
(October 2003, New Lebanon, NY, USA)
ニューヨーク州北部のニューレバノンにあるシェーカースタイルの
住宅に宿泊した。シンプルな木造でペンキ仕上げの質素なつくり。
素朴な佇まいが紅葉の美しい庭と響き合う。この住宅は、どこと
なく温もりを感じる空気で満たされていて、安心のうちに一夜が
明けていった。
住宅は地域の文化と生活に特別な関係がある。旅の途中で訪れる街のそれぞれに、その場所ならではの住宅の姿がある。床に響く足音を想像しながら床の材料を削り出す。書斎をつくるために、仕事に集中できる色を探し天井の高さを決める。安らかな眠りにつくための場所について考えをめぐらす。
文化の中で鍛えられてきた住宅には神秘的な魅力がある。磨り減った階段や錆び付いた扉の蝶番が、住宅が生き抜いてきた時間を証言している。それらの一つ一つが時をこえた感情を呼び醒す。
2009/12/05
鉄道駅
(February 2007, Amsterdam, Nederland)
(July 2006, a certain passage, Paris, France)
鉄道駅は建物である以前に街路でありたいと思っている。人が動き、ものが動く。それらが一つの方向を目指して動いていく。動きは線をつくり、線が集う先に焦点が生まれる。人は焦点の先に広がっているであろう、新しい世界を予感する。その予感が空間に躍動感をもたらす。鉄道駅は街路の出発点であり終着点である。旅の始まりの予感に満ち、到達点で出会うであろう憧れを見いだす場所である。
鉄道駅は街路に似ている。街路は、その本質において道路とは異質な空間であり、鉄道駅はそのようにデザインされなくてはならない。
2009/12/04
poetic quality
(June 1996, Ciudad de Mexico, Mexico)
(July 2001, Santa Fe, New Mexico, USA)
I believe that materials can assume a poetic quality in the context of an architectural object, although only if the architect is able to generate a meaningful situation for them, since materials in themselves are not poetic.
Peter Zumthor
2009/12/03
勝鬨橋
(December 2005, Kachidoki, Tokyo, Japan)
美しい橋は風景にロマンを添える。勝鬨橋は数少ない跳開橋だ。1940年、東京の月島を舞台に開催されるはずだった万国博覧会の花形として計画されたのが勝鬨橋だ。日本の技術力を世界に誇示し、近代化した東京の象徴として勝鬨橋は造られた。勝鬨橋は東京湾から隅田川に上る船舶を最初に迎える橋であり、跳ね上った橋の姿は多くの画家を魅了した。時代は変わり運輸の主役は水運から陸運になり川を行き交う大型船も姿を見せなくなる。風物詩の跳開は1970年を最後に行なわれることはない。橋の中央、四カ所の機械室には、今も橋を持ち上げるモーターが静かに眠っている。いつか、橋が跳ね上がる日を待つように。
2009/12/02
2009/12/01
El Monte Sagrado
(March 2005, El Monte Sagrado, Taos, New Mexico, USA)
高級リゾートとして知られるEl Monte Sagrado。米国ニューメキシコのタオスに立地し、グリーン開発の成功例としても注目される。地域の伝統的な建築様式と材料によって建設されている。開発前に敷地内に残されていた建物が活かされ、新しく建設された建物と調和している。窓や扉の縁を彩る青や緑の鮮やかな色が赤茶色の土壁と美しいコントラストをつくる。平屋の宿泊棟の各部屋には専用の庭があり、その庭を通って部屋にアプローチする。客室棟に囲まれた共用庭の木立と池はリゾートらしい景観を演出し、敷地内の微気候を穏やかに調整する天然の空調装置としてはたらく。
このホテルはさまざまな環境技術に取り組んでいるが、特筆すべき点は敷地内のエネルギーの自給自足を目指していることだ。代表的なものが地中熱を活用した空調システムとリビングマシーンによる水循環だ。ホテル内の排水は一カ所に集められた後、ゲスト用の温水プールの室内に送られる。テントが架けられた温水プールの一角に生い茂る植物たちの根元で排水浄化のプロセスが進む。あたかも観葉植物のように見えるグリーンは巧みにつくられた水槽の中で生育していて、根元の水中に生態系が形成されている。微生物、巻貝、小魚など、小さな生物たちが生活排水を浄化していく。異臭もなく、プールにいるゲストはここに排水処理場が併設されていることなど、思いもよらない。
処理された水は共用庭の小川を経て池に流れていく。流れの途中にいくつもの段差があり、小さな滝が生まれる。滝を流れ落ちる水は飛沫をあげ、空気中の酸素を水中に取り込んでいく。水中の酸素濃度が高くなることで悪臭の元になる汚泥が減り、メタンガスの発生が抑えられる。池にはガマが生育し池底に張った根が泥の中に酸素を送り込む。こうして浄化された池に魚が泳ぎ、その魚がレストランの調理場に運ばれる。
El Monte Sagradoは環境技術の企業が技術の成果を実証し、事業として成立することを社会に示すためにつくったリゾートである。ターゲットは一般のリゾート客であり、リゾートのマーケットで高い評価を得ている。ここでは敷地内のエネルギーを100%自給するための挑戦が今も続いている。
2009/11/30
仁王門
(April 2006, Nikko Toshogu shrine, Tochigi, Japan)
日光東照宮の一の鳥居をくぐり、第一門の正面に立つ。古来より人は、門をくぐることに特別な意味を感じてきた。社寺の門は訪れる人々の信仰心を映し出し、参道に儀式的な意義をもたせる。また、古くから門は人の集まる場をつくってきた。「門前市をなす」の言葉どおり、門前町の参道には店が軒を並べ市をつくり、祝祭的な場所をつくり出した。
日光東照宮の第一門は、阿形と吽形の仁王像に守られた仁王門である。阿形像は口を開き世界で最初に生まれた音を出している。吽形像は口を閉じ世界で最後の音を表す。阿吽像は門の正面に立つ人に向かって、人生の始まりから終わりまでの意味を問いかけている。仁王像の射抜くような眼光は、私たち自分自身の内面、心の中に向けられている。厳しく過酷な試煉が続く人生。まるで、人生に立ち向かう心の力を私たちに授けようとするかのように。
2009/11/29
2009/11/28
Tlacotalpan
(July 1996, Tlacotalpan, Veracruz, Mexico)
トラコタルパンの街並はまるで建築博物館だ。500年前のコロニアル様式の回廊が続き、極彩色の鮮やかな建築が異彩を放っている。この町は15世紀に河川港として開かれ、漁業の町として発展してきた。町を歩いていると、そこここに当時の面影が感じられる。この町を訪れた7月は川エビの収穫の時期で、川に面したレストランでは例外なくエビの料理が並ぶ。簡単に塩で味付けされただけのエビにシラントロ(コリアンダー)を散らし、ライムをたっぷりとしぼる。さっぱりとした料理にメキシコのビールがよく合う。メキシコではビールにもたっぷりとライムをしぼる。グラス一杯のビールにライムを3つほど使う。氷、ライム、塩を合わせてつくるメキシコスタイルのビールはミッチェラーダとして親しまれ、食事の時間に欠かせない。
町は二、三時間もあれば一通り歩けるほどの大きさだが、行く先々の色の変化が楽しく、美しい建築様式に興味が尽きない。
2009/11/27
Divisadero
(September 1996, Ferrocarril Chihuahua al Pacifico, ChP, Chepe)
メキシコの北部、チワワ州の大渓谷Copper Canyonを鉄道で旅する。山賊の襲撃に備え列車の出入口は機関銃を装備した護衛が固める。列車は徐々に高度を上げていく。鉄道沿いに流れていた川は次第に視界からはなれ遥か下に遠のいていく。いくつかのトンネルを過ぎると、目の前には大渓谷のパノラマが広がった。
Divisadero(ディビサデロ)は渓谷で最も標高が高い駅で、海抜2,400メートルの断崖絶壁の上にある。駅を降りて歩くと間もなく渓谷を一望する断崖に出る。そこに張り付くように建てられた一軒宿Hotel Divisadero Barrancasに宿泊した。
(September 1996, Divisadero, Estado de Chihuahua, Mexico)
到着したとき、直前まで降っていた雨が上がり青空が見え始めていた。渓谷の彼方に2千メートル級の山脈が連なる。渓谷から立ち上る膨大な水蒸気が山塊の上に積乱雲をつくりだし、空一面を巨大な雲の塊が覆い始めた。雲は急速に広がり、雲の巨体に山脈が押しつぶされそうに見える。山頂には激しい雨が叩き付けるように降っているようだ。
翌朝、前日に降りしきった雨が渓谷に壮大な雲海をつくり、空には霧がベールのように広がっていた。空の空気が朝陽を浴びてオレンジ色に燃え始め、まるでオーロラのような光景が出現した。Divisaderoの大自然は圧倒的なスケールだ。一度目にしたらけっして忘れられない。
2009/11/24
Taos Pueblo
(July 2001, Taos Pueblo, Taos, New Mexico, USA)
千年前につくられた住宅。米国ニューメキシコ州北部の集落、タオスにその住宅はある。世界遺産に登録されたためか、訪れる人は多い。しかし、商業色は少なく落ち着いた佇まいを見せている。五階建ほどもある建物は、分厚い壁で覆われ、壁をくりぬくように開口が空いている。内部は小さな空間に分節され、強烈な陽射しを浴びながらも凌ぎやすい室温に保たれている。建物前面の広場にはパンを焼く土の竃が点在する。高さ2メートル程の半球状の形態が眼を引く。
最近では日本でも住宅の長寿命化が政治的な命題に取り上げられ、二百年住宅というコピーが登場した。しかし、これは建物自体が二百年保つように出来上がる、ということではない。建物は生き物だ。適切に人の手を入れることによって、初めて生き続けることができる。
タオス・プエブロを訪れたとき、ちょうど少年が壁に土を塗っていた。ひび割れた表面を手当てしている。それを長い年月繰り返すという。親から子へ、またその子どもたちも壁を塗り続ける。自分たちの住む場所を自分たちの手でいたわる。タオス・プエブロが千年を超えて生きているのは、人がそこにいて、建物の命を支えてきたからだ。千年後、タオス・プエブロはどんな姿をしているのだろう、ふと、千年後の風景を想像した。
2009/11/23
2009/11/22
森の礼拝堂
2009/11/21
2009/11/19
森の火葬場
(July 2006, Skogskyrkogarden, suburb of Stockholm, Sweden)
森の火葬場は、建築家アスプルンドが設計した森の墓地の中にある。森の墓地は風景建築の先駆的な作品で、20世紀以降の建築で初めて世界遺産に登録された。
広大な敷地の中に森の火葬場、森の礼拝堂が配置され、雄大な起伏をもつ大地に森が点在する。火葬場は柱廊に内包されるように設置されている。列柱に囲まれた空間の中に居ると時間が静止しているように感じる。列柱の外には二つの丘がある。丘の頂の間の空間は風景の中に象徴的な焦点をつくり出し、そこに石の十字架が置かれている。十字架は死と再生のシンボルであり、空に浮かび上がったシルエットが永遠の時を暗示している。
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