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(December 31 2009, Tokyo, Japan)
願いつづける
強く
意思をもって
(December 2009, ・・・・・)
そこがどこかはわからない。他の惑星にいるようだ。砂と岩で覆われた乾いた大地。世界全体が砂岩のような色で空は青くない。この惑星に住人の姿は見えない。文明が存在するようにも見えない。生命を感じない場所。
何人かでチームを組んで歩いているが、メンバーの顔は見えない。探査に来ているのか?近くに他のチームが見える。その中に「きみ」を見つける。しばらく地表を歩いた後、私たちのチームは別の地点に飛ぶ(歩いてではなく、空中を移動したようだ)着いた場所でチームの中の一人と二人きりになっている。このとき、チームのメンバーたちに、なぜか家族のような懐かしさを感じていた自分に気づく。
私たち二人が着いた場所は、岩の中に掘り込まれた空間になっている。地球の古代人がつくった洞窟の住居に似ている。中に生活の痕跡はない。外にバルコニー状の岩棚がある。出てみると、そこに不思議な生き物(?)の姿がある。それは、腰掛けのような木でできた何かに体をあずけている。地球の軟体動物のような体。人間よりも大きく、その巨体はウミウシのような姿をしている。
私はそれを見ながら、その実体がここにはないことがわかっていた。それは意識を送ってきているだけで、言葉はなく、ただ、存在だけを伝えてきている。一緒にいるメンバーが、それに近づく。「?」、彼は子ども?いや、幼児?いつの間にか、ベビーカーに入るくらいの乳児になっている。次の瞬間、彼を見失ってしまった。緊急事態になった。他のメンバーを探さないといけない。
洞窟から離れメンバーを探して歩く。谷に架かる橋の下を数人が通り過ぎようとしている。その中に「きみ」の姿を見つけ呼び止める。「きみ」は現在の地球で生活している容姿をしている。今の「きみ」の名前で呼びかける。「きみ」は振り向き目が合う。しかし「きみ」は何も言わずに行ってしまう。「きみ」は私をさがしに、この惑星まで来たと、私の意識に直接伝えてきた。私はあたりを見回すが、「きみ」の後ろ姿を見送ることしかできない。
(May 1996, Estado de Puebla, Mexico)
標高5,426m、ポポカテペトルはメキシコを代表する活火山だ。向きあうように聳える標高5,286mのイスタシワトル(IZTACCIHUATLE)とともに神話の山として知られている。アステカの王妃イスタシワトルと敵国の青年ポポカテペトルは恋におちるが、やがて対立する両国から追われる身となる。二人は厳しい逃避行をつづけ、自由の国を求め海をめざした。海に行くための極寒の山越。しかし、無情にも頂上で吹雪きにあい力尽きてしまう。山の民は二人を哀れみ、この山にポポカテペトルを、向かい合うもう一つの山にイスタシワトルを鳥葬した。そしていつしか、人は、この二つの山を二人の名前で呼ぶようになった。
ポポカテペトルは活発な火山だ。その日も噴煙が上がり、夕日に山のシルエットが鮮やかに浮かび上がり,雄大な影をおとしていた。
(December 2005, my place, Tokyo, Japan)
シードポットには小さな穴が一つだけあけられている。このポットの表面には二匹のトカゲが歩いているが、一匹のトカゲの頭のところに小さな穴がある。この穴から種を一つずつポットの中に入れる。中が種で一杯になると、ポットは暗所で保管され種蒔きの季節を静かに待つ。種を蒔くときはポットから種を取り出さないといけない。しかし、どうやってこの小さな穴から種を取り出すのだろう。聞いてみると、なんとポットを割ってしまうという。
毎年毎年、新しいポットをつくり新しい絵を描き続ける。壊すことで新しいものを創るサイクルができあがっている。旅する者にとっては、そこにあるポットはたった一つしかなく、壊してしまえば永遠に失われるような気がする。しかし、彼らの心の中には変わることのないメッセージが生きつづけていて、消えることはない。冬に枯れて種をのこし春になると新しい命を芽吹く植物のように、彼らの芸術も自然のサイクルの中にある。
(July 2001, on top of a mesa, Acoma, New Mexico, USA)
アコマの集落はメサの頂上にある。アコマ・プエブロはおよそ千年前に拓かれた。現存するものでは、米国で最も歴史のある集落の一つだ。高さ112mの断崖の上につくられ、今でこそ車が通る道路がつながっているが、そこは地上と隔絶した世界であり、千年の時を耐え抜いてきた街の姿がある。
メサの頂上を歩き崖の縁まで行く。広大な大地をさらに大きな空が覆っている。地平線の向こうで真っ白な千切れ雲が次々とわき上がってはメサの上を通り過ぎて行く。地平線の手前にもう一つのメサがある。聞いてみると、アコマの人々はかつて、そのメサに集落を築いたことがあるという。昔、外敵の襲撃を受けたとき、彼らはこのメサを放棄し、もう一つのメサに逃れなければならなかった。そして今、再び先祖たちと共にこのメサに暮らしている。
(December 2005, seed pot, my place, Tokyo, Japan)
閉じられた世界、沈黙した時は、ときとして人に自らの内面に向き合う時間をくれる。そのような時間の存在がアコマにはあるのかも知れない。アコマは芸術の村である。人々は素晴らしい芸術の技を伝承し、今日も創りつづけている。彼らは、芸術を実用のためにつくり、人に気持ちを伝えるためにつくる。豊穣を願うシードポットや結婚を祝うウェディング・ポット。陶器は美しく彩色され、先祖から伝えられている絵柄が施される。その絵の一つ一つが言葉であり、メッセージになっている。絵の意味をたずねてみたが、なかなか教えてくれない。本来は言葉で伝えるものではないという。「一つだけ教えよう」彼はそう言うと、シードポットのトカゲを指差し、「long life」たった一つ言葉を音にした。
(July 2001, Acoma, New Mexico, USA)
ニューメキシコ州の都市アルバカーキから車で半時程南に走ると、赤く焼けた大地に聳えるテーブル・マウンテンが姿を現す。テーブル・マウンテンはメサとよばれている。地球が生きてきた悠久の時間を感じさせる象徴的な風景だ。メサの上には地上と隔絶された文化が今も息づいている。
村を歩くと、住居の窓や出入り口の周りが青い色で縁取りされていることに気づく。聞いてみると、出入り口の周りを青く塗っておくと家の中に悪霊が入ってこないと言う。青は魔除けに使われる色ということだ。
どうも青は特別な色らしい。日本でも古くから多くの人が青に魅せられてきた。いにしえの時代、人は想いを伝えるために青い玉を贈ったという。青は愛情を伝える色であり、大切な人の幸せを願う色だった。地球の反対側のアコマの美しい青につれられて、いつの間にか、遥か遠い古代の日本の連想を旅していた。
(June 1990, Centre Pompidou, Paris, France)
「つどい」は都市の本質だ。つどうことは人間の根源的な欲求から生まれる。人は自己を表現し、自分の中にある何かを伝え、人と共有したいと願う。その人間的な欲求から人はつどうようになり、つどいが始まった場所が街路となった。そして、街路が生まれたとき、都市の姿がつくられ始めた。街路は人がつくり出したもっとも人間的な場所であり、人間がつくった最初の空間だ。
現代都市の中では「つどい」の場所をみつけることが日々、難しくなっている。そのことに反比例するように人とつながりたいという欲求は強くなっていく。街を歩いていて気づかされるのは、そこには道路はあるが街路は無いということだ。
(December 2009, Tokyo, Japan)
2009年12月6日。日没から30分後の空。東京から富士を見る。
(December 2009, Tokyo, Japan)
晩は「十六夜」明けは「有明の月」。
ためらいながら、ようやく夜空に顔をだしたおまえは
明けて西に陽が満ちても帰らずにいるなあ。
(February 2007, Amsterdam, Nederland)
(July 2006, a certain passage, Paris, France)
鉄道駅は建物である以前に街路でありたいと思っている。人が動き、ものが動く。それらが一つの方向を目指して動いていく。動きは線をつくり、線が集う先に焦点が生まれる。人は焦点の先に広がっているであろう、新しい世界を予感する。その予感が空間に躍動感をもたらす。鉄道駅は街路の出発点であり終着点である。旅の始まりの予感に満ち、到達点で出会うであろう憧れを見いだす場所である。
鉄道駅は街路に似ている。街路は、その本質において道路とは異質な空間であり、鉄道駅はそのようにデザインされなくてはならない。
(June 1996, Ciudad de Mexico, Mexico)
(July 2001, Santa Fe, New Mexico, USA)
I believe that materials can assume a poetic quality in the context of an architectural object, although only if the architect is able to generate a meaningful situation for them, since materials in themselves are not poetic.
Peter Zumthor
(December 2005, Kachidoki, Tokyo, Japan)
美しい橋は風景にロマンを添える。勝鬨橋は数少ない跳開橋だ。1940年、東京の月島を舞台に開催されるはずだった万国博覧会の花形として計画されたのが勝鬨橋だ。日本の技術力を世界に誇示し、近代化した東京の象徴として勝鬨橋は造られた。勝鬨橋は東京湾から隅田川に上る船舶を最初に迎える橋であり、跳ね上った橋の姿は多くの画家を魅了した。時代は変わり運輸の主役は水運から陸運になり川を行き交う大型船も姿を見せなくなる。風物詩の跳開は1970年を最後に行なわれることはない。橋の中央、四カ所の機械室には、今も橋を持ち上げるモーターが静かに眠っている。いつか、橋が跳ね上がる日を待つように。
(November 2009, Kachidoki, Tokyo, Japan)
人が幸せになるのを見るのはうれしい
涙がこぼれるのはそんなときだ
哀しいときではなくて
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(April 2006, Nikko Toshogu shrine, Tochigi, Japan)
日光東照宮の一の鳥居をくぐり、第一門の正面に立つ。古来より人は、門をくぐることに特別な意味を感じてきた。社寺の門は訪れる人々の信仰心を映し出し、参道に儀式的な意義をもたせる。また、古くから門は人の集まる場をつくってきた。「門前市をなす」の言葉どおり、門前町の参道には店が軒を並べ市をつくり、祝祭的な場所をつくり出した。
日光東照宮の第一門は、阿形と吽形の仁王像に守られた仁王門である。阿形像は口を開き世界で最初に生まれた音を出している。吽形像は口を閉じ世界で最後の音を表す。阿吽像は門の正面に立つ人に向かって、人生の始まりから終わりまでの意味を問いかけている。仁王像の射抜くような眼光は、私たち自分自身の内面、心の中に向けられている。厳しく過酷な試煉が続く人生。まるで、人生に立ち向かう心の力を私たちに授けようとするかのように。
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(November 2009, Yubiso, Gunma, Japan)
風景は秋から冬へ衣替えをする。
山は紅に黄色に燃える。
どこまでも高く青い透明な空。
真っ白い雲が宙を流れていく。
(June 1989, Catedral de Santa Maria de Cordoba, Cordoba, Spain)
Light gives value to walls, windows, materials, textures, and colors
Light changes space
Light belong to the heart and to the spirit
(November 2009, Harumi, Tokyo, Japan)
I carry your heart with me.
I carry it in my heart.
(November 2009, Crescent Moon, Tokyo, Japan)
青い空の中に三日月が動いていく。月には二十七の顔があるが、その中でも三日月には数多くの名前が付けられている。初月、若月、眉月など。三日月は新月から数えて三日目から四日目の間、夕方のまだ明るい時間に西の空に姿を見せ、太陽とお揃いになる。