2009/10/02
2009/09/30
2009/09/29
こうして月の顔は傷だらけになった・・・
(January 2009, Tokyo, Japan)
あるとき、月がウサギに言った。
「人間たちのところに行って、月が死んでもまた生き返るように、人間もまた死んでも生き返るようにしてやる、と伝えてこい。」ところが、ウサギは天界から大地へ降りていって、人間たちに間違ったことを言ってしまう。
「お月さまは死んでも再び生き返るが、お前たちはいったん死んだら生き返ることは出来ない。」
これを知ったお月さまは立腹し棒をウサギに投げつける。棒はウサギのくちびるに当たる。あまりの痛さにカッとなったウサギは月に飛びかかり爪でひっかく。
こうしてウサギの間違いから人間は死なねばならなくなり、こうしてウサギのくちびるは裂けており、またこうして月の顔は傷だらけになった・・・。 ホッテントットの伝説 北杜夫「月と狂気について」より
2009/09/28
2009/09/27
十年前 考えたこと
(September 2009, Kujukuri Hama, Chiba, Japan)
植林研究所のプロジェクトはメキシコの環境プロジェクトと位置づけられていた。メキシコシティの盆地を取り囲む五千メー トル級の山々に植林し、緑の環境を取り戻し、大気汚染を緩和する環境対策の一環である。
遠く、太平洋を越えた地から日本を思うとき、緑豊かな自然、水に潤う大地のかけがえなさを考えずにいられなかった。かつて、メキシコシティは山々に囲まれた広大な湖に浮かぶ、美しい湖上都市であった。しかし、今やそのすべてを失い、再び取り戻すことはない。わずかに残った水路の上にはコンクリートの蓋がかけられ、汚れた水から発生するガスが漏れ出している。かつての水の都は二度と戻ってこないように思われた。二千万人もの人が生活する都市、そのどこにも、水の流れを見いだす場所はなかった。
すべては水に集約する。日本でも誰かが大地を守らなければならない、河川を守らなければならない。
自分にとって、すべての取り組みはそのためにある。
(December 1999, Inagekaigan, Chiba, Japan)
十年前 感じたこと
(January 2005, Buenos Aires, Argentina)
ちょうど5年前の師走、メキシコに一年間の旅に出ることになった。OECFの海外援助案件、植林研究所を設計するためだ。慌ただしい年の瀬を迎えていた。
年が明け、春の訪れとともに街は極彩色に色づいていく。メキシコの高原都市にいっせいにヘリオトロープ色の花が咲き溢れ、街の通りという通りが薄紫色に染まっていく。ハカランダの木々が花開く季節である。地面にはハカランダとブーゲンビリアの鮮やかな花びらが舞い散り、贅沢な花の絨毯が敷き詰められる。そんな中、通りには屋台が並ぶ。街はタコスやタマレスで一時の腹ごしらえする人々で賑わいを見せる。
メキシコではあいさつは欠かせない。人と顔を合わせたときは Buenos-dias! レストランで食事を終えて出るときには、周りの人に Buen-Probecho! と声をかける。ちょっとした笑顔が返ってくる。
豊かさとは一体、何だったのだろうか。この国の経済力は日本のそれと比べるべくもないのは確かである。しかし、ここでは、人々は確かに生きているということが伝わってくる。金銭的には貧しい人が多いに違いない。しかし、彼らには守るべき家族があり、愛する人がいる。「ここにあった」、そう感じた。
(December 1999, Inagekaigan, Chiba, Japan)
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