2010/02/16

パンドラの箱


(February 2007, Brussels, Belgium)

パンドラは神に似せてつくられた美しい人間の女性だった。
ゼウスは、あらゆる災厄が入った壷をパンドラに与え、「けっして開けてはいけない」と忠告する。この言葉によって、パンドラは、おさえのきかない好奇心にとらわれてしまう。このことをゼウスは知っていた。
かくしてパンドラは壷を開けてしまい、あらゆる悪と災厄が世界に放たれた。たったひとつ、「未来を見通す災厄」だけが放たれることなく、壷の底に残された。

一説によると「未来を見通す災厄」が放たれなかったために、私たちは未来を予知することができず、運命を知ることもない。だから、人間は運命は自分で切開くことができると信じており、あきらめず、希望をもちつづけることができるという。

また他の説によると「未来を見通す災厄」が放たれずに残ったために、人間はけっして叶わぬ「希望」をもちつづけ、尽きることのない苦しみにとらわれてしまう。「希望」こそが最大の悲劇であり、人間はあきらめる知恵を永遠に失ったの だ。

2010/02/15

二十一年前


(January 2005, Torres del Paine, Patagonia, Chile)

TVのニュースに目が釘付けになった。
これまで日本で一番高い山は富士山だと信じられていた。その歴史的事実が突然、打ち破られた。女性キャスターの声が興奮で高ぶっている。埼玉県で六千メートル級の山が発見されたという大ニュースが伝えられていた。それだけではない、信じられないもう一つの出来事は、同じく埼玉県に海の存在が確認されたことだ。
埼玉に長年くらしてきた自分にとっても、沸きあがるような喜びだ。特徴のない漠然とした平野が広がり、風光明媚な山並みに縁がなく、もちろん、海はあるはずもなかった。その事実が、今日いっぺんにひっくり返ってしまった。なんとめでたいことだろう。素晴らしいニュースに気持ちが高ぶった。

報じるところによると、なんでもその山はあまりにも高く、周囲をおおう深い霧が晴れることがけっしてない。そして、あまりにも鋭く、針のように天空に突き出ているために、空からも見えないという。発見された海は山の裾野の深い霧の底に眠っている。その海はあまりにも静かで、音もなく、風もなく、においもない。海面の霧はいままで一度も晴れたことがない。

(January 2005, Torres del Paine, Patagonia, Chile)

この歴史的発見を祝って、山頂までの特別な観光列車が建設された。線路は山を螺旋状に巻きながら敷設されている。列車は三両ほどの短い編成で、黒部のトロッコ列車みたいな感じだ。押し寄せた観光客がさっそく列車に乗り込む。列車は針のような山頂からゆっくりと離れ、旋回しながら降下し始める。下界の景色は一面の霧の下でまったく見えない。列車は回転しながら降下し、次第に加速していく。徐々に遠心力がはたらいて、体が外に引っ張られるのを感じる。

おや、どうしたことだろう!?

次第に引っ張る力が強くなる。体が緊張してくる。手すりを握る手が汗ばみ、筋肉が硬直してくる。引っ張る力が強くなってきた。何としても手を離してはならない。必死に手すりにしがみつくが、外に引っ張る力はますます強くなり、耐え難いほどになる。乗客が悲鳴をあげ始めた。体が椅子から浮き上がり宙に舞い上がる。列車は深い霧を抜け、眼下に地上が見え始める。地上の風景が恐ろしいスピードで迫ってくる。列車は音をあげて加速し、乗客の手は次々と引き離される。振り切られて宙に投げ出された乗客たちは、まるで花びらのように優雅に回転しながら落下していく。

このままだと地面に叩き付けられてしまう。
手を離した方が良いのか!?どうする?どうする!
生き残る道はひとつしかない!
思い切って手を離し空に飛び出す。

2010/02/14

二年前


(October 2006, Tokyo, Japan)

北の方で何かが爆発した。
光一閃、街が砂塵になって舞い上がった。膨大な土煙が空に立ちのぼり、巨大なかたまりが猛烈な勢いで向かってくる。
「まずい!いそいで!
ビルの南側に身を隠して!
あっという間の出来事だった。
超高層のガラスがこなごなに吹き飛ばされる。街は赤茶色の嵐の中に飲み込まれ、地面に叩き付けられた。ガラスの破片が烈風になって吹き荒れ、
窓枠の鋼はちぎり飛ばされた。
一体何が起きたのか?
むき出しになった建物の骨組みが、衝撃の凄まじさを物語っていた。いたるところでビルが傾き、街は無惨に破壊されていた。

しかし、人々は懸命に生きようとしていた。
自ら傷つきながらも、となりの人を助けるために手を差し伸べようとしていた。
奇跡だった。一人も命をおとしていなかった。
私たちは生き延びたのだ。