2010/01/02
ゼラニウムの発明
(January 2010, my place, Tokyo, Japan)
ゼラニウムの花びらに水滴がのっている。美しい銀色の光をとじこめ、まるで宝石のようだ。水滴は完全な球形をしていて、すぐにでも転げ落ちそうに見える。花びらの上にはいくつもの水滴がのっているのに、花びらは濡れていない。
写真を撮ると、そこにあるものが見えるようになる。よく観るとゼラニウムの花びらの表面に微細な凹凸がある。この凹凸が水滴を寄せ付けず、水玉を球形に保っている。水玉は花びらの上を転がりながら塵や埃を吸い付ける。転がり回った後に埃と一緒に落ちていく。雨が降るたびに、花びらの上を水滴が転がりクリーニングしていく。
自らは動くことが出来ないゼラニウムの花は、考えに考え、気の遠くなるような時間をかけて偉大な発明を完成させた。ジッとしていれば自然が体を洗ってくれる仕組みを考えつき、体を進化させた。花だから濡れた顔になるのはイヤだったし、いつもキレイにしていたかった。そして、その願いは実現した。
自然には発明が満ちている。その気になれば学べることは山のようにある。自然はいつでもワクワク、キラキラしている。
あの惑星で起きたこと
(July 1987, Death Valley, Nevada, USA)
あの日、夢の中で起きたことは何だったのだろう。あの惑星では誰も言葉を交わしていなかった。そもそもそこは惑星だったのか?
そこでは誰も話をしていない。音の存在しない世界。唯一、「きみ」を呼び止めたときに自分の声を聞いたような気がする。しかし、その声に振り向いたのは「きみ」だけで、他の誰ひとり気にかける人はなかった。おそらく、他の誰にも「声」は存在していなかった。
音の無い世界にあって、「声」は別次元の世界の産物なのかも知れない。その世界では「声」は聞くことも見ることも出来ない異物なのだ。「声」の代わりに、そこでは、直接、意識に伝わる何かが飛び交っている。
夢はどのように形づくられるのだろう?あの日、夢の中でみたことは過去の記憶からではなく、どこか遠い未来で起きたことのような気がするし、パラレルワールドを垣間見てしまったような気もする。
2010/01/01
一日目の黄昏
2009/12/30
他の惑星で
(December 2009, ・・・・・)
そこがどこかはわからない。他の惑星にいるようだ。砂と岩で覆われた乾いた大地。世界全体が砂岩のような色で空は青くない。この惑星に住人の姿は見えない。文明が存在するようにも見えない。生命を感じない場所。
何人かでチームを組んで歩いているが、メンバーの顔は見えない。探査に来ているのか?近くに他のチームが見える。その中に「きみ」を見つける。しばらく地表を歩いた後、私たちのチームは別の地点に飛ぶ(歩いてではなく、空中を移動したようだ)着いた場所でチームの中の一人と二人きりになっている。このとき、チームのメンバーたちに、なぜか家族のような懐かしさを感じていた自分に気づく。
私たち二人が着いた場所は、岩の中に掘り込まれた空間になっている。地球の古代人がつくった洞窟の住居に似ている。中に生活の痕跡はない。外にバルコニー状の岩棚がある。出てみると、そこに不思議な生き物(?)の姿がある。それは、腰掛けのような木でできた何かに体をあずけている。地球の軟体動物のような体。人間よりも大きく、その巨体はウミウシのような姿をしている。
私はそれを見ながら、その実体がここにはないことがわかっていた。それは意識を送ってきているだけで、言葉はなく、ただ、存在だけを伝えてきている。一緒にいるメンバーが、それに近づく。「?」、彼は子ども?いや、幼児?いつの間にか、ベビーカーに入るくらいの乳児になっている。次の瞬間、彼を見失ってしまった。緊急事態になった。他のメンバーを探さないといけない。
洞窟から離れメンバーを探して歩く。谷に架かる橋の下を数人が通り過ぎようとしている。その中に「きみ」の姿を見つけ呼び止める。「きみ」は現在の地球で生活している容姿をしている。今の「きみ」の名前で呼びかける。「きみ」は振り向き目が合う。しかし「きみ」は何も言わずに行ってしまう。「きみ」は私をさがしに、この惑星まで来たと、私の意識に直接伝えてきた。私はあたりを見回すが、「きみ」の後ろ姿を見送ることしかできない。
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