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(December 2009, Tokyo, Japan)
晩は「十六夜」明けは「有明の月」。
ためらいながら、ようやく夜空に顔をだしたおまえは
明けて西に陽が満ちても帰らずにいるなあ。
(February 2007, Amsterdam, Nederland)
(July 2006, a certain passage, Paris, France)
鉄道駅は建物である以前に街路でありたいと思っている。人が動き、ものが動く。それらが一つの方向を目指して動いていく。動きは線をつくり、線が集う先に焦点が生まれる。人は焦点の先に広がっているであろう、新しい世界を予感する。その予感が空間に躍動感をもたらす。鉄道駅は街路の出発点であり終着点である。旅の始まりの予感に満ち、到達点で出会うであろう憧れを見いだす場所である。
鉄道駅は街路に似ている。街路は、その本質において道路とは異質な空間であり、鉄道駅はそのようにデザインされなくてはならない。
(June 1996, Ciudad de Mexico, Mexico)
(July 2001, Santa Fe, New Mexico, USA)
I believe that materials can assume a poetic quality in the context of an architectural object, although only if the architect is able to generate a meaningful situation for them, since materials in themselves are not poetic.
Peter Zumthor
(December 2005, Kachidoki, Tokyo, Japan)
美しい橋は風景にロマンを添える。勝鬨橋は数少ない跳開橋だ。1940年、東京の月島を舞台に開催されるはずだった万国博覧会の花形として計画されたのが勝鬨橋だ。日本の技術力を世界に誇示し、近代化した東京の象徴として勝鬨橋は造られた。勝鬨橋は東京湾から隅田川に上る船舶を最初に迎える橋であり、跳ね上った橋の姿は多くの画家を魅了した。時代は変わり運輸の主役は水運から陸運になり川を行き交う大型船も姿を見せなくなる。風物詩の跳開は1970年を最後に行なわれることはない。橋の中央、四カ所の機械室には、今も橋を持ち上げるモーターが静かに眠っている。いつか、橋が跳ね上がる日を待つように。
(November 2009, Kachidoki, Tokyo, Japan)
人が幸せになるのを見るのはうれしい
涙がこぼれるのはそんなときだ
哀しいときではなくて
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(April 2006, Nikko Toshogu shrine, Tochigi, Japan)
日光東照宮の一の鳥居をくぐり、第一門の正面に立つ。古来より人は、門をくぐることに特別な意味を感じてきた。社寺の門は訪れる人々の信仰心を映し出し、参道に儀式的な意義をもたせる。また、古くから門は人の集まる場をつくってきた。「門前市をなす」の言葉どおり、門前町の参道には店が軒を並べ市をつくり、祝祭的な場所をつくり出した。
日光東照宮の第一門は、阿形と吽形の仁王像に守られた仁王門である。阿形像は口を開き世界で最初に生まれた音を出している。吽形像は口を閉じ世界で最後の音を表す。阿吽像は門の正面に立つ人に向かって、人生の始まりから終わりまでの意味を問いかけている。仁王像の射抜くような眼光は、私たち自分自身の内面、心の中に向けられている。厳しく過酷な試煉が続く人生。まるで、人生に立ち向かう心の力を私たちに授けようとするかのように。
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(November 2009, Yubiso, Gunma, Japan)
風景は秋から冬へ衣替えをする。
山は紅に黄色に燃える。
どこまでも高く青い透明な空。
真っ白い雲が宙を流れていく。