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(February 2007, Amsterdam, Nederland)
きみはゆうきをもっていい。
いま、きみがここにいるのは
きみが冬の数だけ花を咲かせてきたから。
(February 2007, Beginhof, Brugge, Belgium)
朝靄のベギン修道院。黄色いスイセンの花が
いっせいに咲く時期も近い。
どんなに長く感じても、冬には必ず終わりが
あり新しい春が巡ってくる。
この修道院は今年で763回の冬をのりこえ、
764回目の春を迎える。
問題にぶつかり乗り越えるのが人生だ。
乗り越えるために想像力が必要だし、
その想像力が才能を花開かせる。
自分にとって想像力は、何かを信じ夢見る能力だ。
(July 2001, INN OF THE ANASAZI, Santa Fe, New Mexico, USA)
ニューメキシコ州サンタフェのホテル、アナサジ・イン。このホテルはグリーン開発の成功例として有名である。グリーン開発とは、そこにある自然環境の価値を高め、すぐれた資源効率を実現し、そして地域社会と豊かな文化的感受性で結びつくこと、これら三つの目標が統合された不動産開発である。
(July 2001, room service menu of INN OF THE ANASAZI) 2001年の初夏、アナサジ・インに滞在した。サンタフェのセントラル広場から近く、近隣には美術館が建ち並ぶ。ジョージア・オキーフの作品にふれることが出来るのは、この街ならではのうれしい体験だ。
このとき、ホテルは完成してからちょうど十年が経っていた。外装の日干し煉瓦はネイティブ・アメリカンの伝統的な工法でつくられた物で、月日の年輪を重ね美しい表情をしている。ホテルの正面に立つと、四十年前まで、この建物が州刑務所の事務所だったことは想像もできない。素晴らしいリノベーションの事例だ。
室内に置かれている地域の伝統的な工芸品、家具、美術品が温かみのあるサンタフェらしい空間をつくりだし、宿泊客を迎える。レストランではこの地方の有機農法でつくられた食材を積極的に使い、農家を支援し続けている。この地域の食文化を堪能できるメニューが楽しく、料理も一流だ。
アナサジ・インの経営の根底にある理念は地域の共感だ。共感こそグリーン開発の本質だろうし、これから先、世界の人をつなげていく価値観だと思う。
(October 2009, Sumida river, Tokyo, Japan)
涼やかな風がつたわってくる川沿いのテラス。
水面には、きらきらと数えきれない光の粒がダンスを繰り広げている。
近づいてみると、光の粒子一つ一つが太陽だった。
(October 2009, Tokyo, Japan)
すばらしい青空。
地球ってすごい。
(October 2003, Darrow school, NY, USA)
ハドソン川はニューヨークの水源である。その上流に位置するDarrow schoolはユニークな教育で知られる全寮制の私学である。この学校では、施設からの排水を全て五十坪程のガラスの温室に集めている。温室の中には直径2メートルのタンクが九つ並んでいる。排水はこれらのタンクを順々に通過していく。この一連のタンクはリビングマシーンと呼ばれるエコシステムで、生態系の働きで水を再生するシステムである。タンクの中では水中に伸びる植物の根を住処とする様々な生物が暮らしている。その生物たち、特に微生物が排水中の養分を分解し、自然に戻せるレベルにまできれいにしていく。最後部のタンクの先は池になっており、澄んだ水の中を魚たちが泳いでいる。
(October 2003, Living Machine at Darrow school)
Darrow schoolは水資源の将来に責任を持つことを教育の大切な理念としている。学校の全ての活動、教育プログラムがその理念に基づいている。エコシステムによって濾過された水は、最先端の技術で化学処理された日本の下水処理施設からの放流水の水質を上回る。濾過には二日程かかるから化学処理と比べるとスローなシステムだが、環境負荷が小さく、エネルギー消費も少ない。そして生態系の働きを体感する優れた環境学習の機会を創り出す。ここで学ぶ生徒は自らリビングマシーンを運転し管理する。水質を分析し、植物の手入れをする。これらの体験が水の未来に責任をもつ意識の形成につながっていく。
子どもたちと一緒に授業に参加し、バーベキューを楽しみ、朝の集会で挨拶をした。鮮やかな紅葉で染まった美しい森の中の二日間だった。
(January 2005, Torres del Pine, Patagonia, Chile)
トーレス・デル・パイネ山頂の夜明け
1月のパタゴニアは風が強い。岩壁の上で両手を広げ、ゆっくり
体を前に倒していく。谷から吹上げる強風が体を押し上げ、一方
で、重力は体を谷の底に引き込もうとする。風の力と重力が釣り
合いやがて体は前傾したまま静止する。まるで空に翼を広げる
コンドルのように。大空を飛んでいるような爽快感を楽しんだ。
頂上への道は
自分自身への道であり
したがって、どの山行も単独行のようなものである。
アレッサンドロ・ゴーニャ
(October 2009, Tokyo, Japan)
ショパン自筆のバラード
「ご存知の通り恋をしているときは、空模様が変わりやすいものです。一週間の間にいやというほど「イエス」と「ノー」を、「もし」と「しかし」をいうのです。朝「とてもやりきれない」というかと思うと、夕べには「実にすばらしい」というのです。」ジュルジュ・サンドが1838年の五月にカルロッタ・マリニアニに宛てた手紙の中で述べた心模様。
ショパンの生活はジュルジュ・サンドとの出会いで一変する。ショパンは二十六歳、サンドは三十二歳。作家として名を知られていたサンドは、その知性で芸術家を次々と虜にしていた。ショパンは当初サンドに反撥を覚えるが、いつしか彼女に惹かれていく。そして、1838年の末から翌年にかけてサンドと共にマジョルカ島で過ごす。この間、ショパンはその生涯でもっとも重要な作品となる「二十四のプレリュード」を創り上げていく。サンドの傍ら、病に苦しみ瀕死の状態にあって、ショパンは苦悩を至高の芸術に昇華させていく。