2010/01/09
Georgia O'keeffeの言葉
(January 2010, Georgia O'keeffe, from my book)
In school I was taught to paint things as I saw them. But it seems so stupid!
If one could only reproduce nature, and always with less beauty than the original,
why paint at all?
Nothing is less real than realism. Details are confusing. It's only by selection,
by elimination, by emphasis that we get at the real meaning of things.
1922 Georgia O'keeffe
(July 2001, Ranchos Church, Taos, New Mexico, USA)
(January 2010, Ranchos Church, from my book)
2010/01/08
漆
(January 2010, my place, Tokyo, Japan)
今から15年前、輪島の漆芸家、一后さんが店の奥から
桐の箱を運んできた。紐を丁寧に解いて、桐の蓋を開
けると美しい山吹色の布の包みが五つ納められていた。
その一つ一つを大切そうに広げると、深い朱の盃が姿
を現した。金箔でつくられた蟹が五つの盃の上を渡っ
ていくように描かれている。
「これは売り物じゃないんだけどな、おまえにこれを
譲ることにした。俺の最後の作品だから大切にしろ。
仕舞っておかないで使え。それから箱を大事にしろ。」
そう言うと、俺はもう二度と作らないから、と一言加
えて、私の肩をポンっとたたいた。
秋田県の大森町は雄物川沿いの小さな町だ。町の中心に小高い山があり、裾野一帯は桜の名所として知られている。雄物川に面して母の実家があった。子どもの頃、毎年のように大森で過ごした。夏の花火に冬のかまくら。毎日のように雄物川に出かけた。雄物川には不思議な言い伝えが多かった。川の中で、女性の髪のように長く揺らめいている気味悪い水草に目が釘付けになった。
家は雪国特有の急勾配の屋根。高窓の下の広間に囲炉裏を囲んで家族が集まった。広間の隣に土間の台所、土間は奥の風呂場と蒔置場につづいていた。風呂場の奥には昔、厩があったが、既に馬や牛はいない。そこは祖父の作業場になっていた。祖父はそこでどんなものでも作ってくれた。幼い自分にとって、祖父は魔法使いだった。
家の中はどこに行っても暗かった。見上げると、そこは光の届かない闇だった。柱、梁、軒裏や板張りの床、すべてが黒光りしていて、わずかな光が艶かしく、恐ろしげに映り込んでいた。だいぶ時が経ってから知ったことだが、その家は総漆塗りの家だった。柱や床だけでなく、日常で使われていたお椀や箸も漆塗りだった。
日本のことを英語で「Japan」と呼ぶ。誰が名づけたのだろう?「漆」のことを英語で「Japan」と書く。漆は自分にとって、もっとも日本を感じさせる物の一つだ。正月にお屠蘇を漆の杯で口にする。お酒は漆に触れると魔法のように柔らかくなる。漆器は物の味を変えてしまう不思議な器だ。
漆には素晴らしい効能もある。漆器の中で食品を保管すると持ちがよい。漆は天然の抗菌剤であり防腐剤だ。試みに漆器の中にゆでた蕎を入れてみた。樹脂で作られた容器に入れた蕎と比べて瑞々しさが長持ちする。それだけではない。漆は部屋の空気をきれいにするらしい。漆器で囲まれた部屋の空気は凛としている。
漆は美しいだけでなく、日常生活で役立つさまざまな効能を秘めた可能性の材料だ。先人の漆の使い方、使われていた場所を見直してみると、新しい天然の技術が生まれてきそうだ。
2010/01/07
2010/01/06
稲荷神社
(January 2010, Basho-inari shinto shrine, Tokyo, Japan)
東京の門前仲町から深川にかけて、多くの神社がある。深川七福神を巡る道は人の流れが絶えることはない。
神を訪ね歩く道の途中に芭蕉稲荷神社がある。間口二間足らず、奥行きも二間程のこじんまりとした神社だ。午後のやわらかい光に赤と緑のコントラストが美しく、思わずシャッタ−をきった。後になって、お参りも忘れて写真を撮ったことにばつの悪さを感じて、神社に戻ってお参りした。鳥居をくぐり、鈴を鳴らす。賽銭箱に五十円硬貨を入れて今年の抱負をお伝えした。
稲荷神社は日本の町の至る所で見かけるが、注意を払って見たことはなかった。狐さんが鳥居の両側、左右に対になって鎮座している。正面向かって右側の狐さんは子狐を抱え、左側の狐さんは玉のようなものを転がしている。このことが気になって、すぐ側の正木稲荷神社の狐さんを見ると、同じことになっている。どういう意味があるのだろう。どこの稲荷神社も同じなのだろうか。明日からは稲荷神社の前を通る度に狐さんに目がいきそうだ。
2010/01/05
2010/01/04
鬼門
(December 2009, a certain Japanese residence, Tokyo, Japan)
正月になると方位の話題が多くなる。初詣に出かけると、境内に方位について書かれたものが目につく。その多くは九星気学に基づく方位についてだ。今年は八白の星が中央にきているため、二黒土星、四緑木星、五黄土星の星回りが良くない場所に入っている。
気学の方位になると少々難しくなってしまうが、巷でよく知られている方位に鬼門がある。鬼門は古代中国の都、洛陽にその起源があると言われている。洛陽の冬は東北から冷たい風が吹き込む。その寒風を防ぐために都の東北方位を塞いだのが鬼門だった。ところで、日本ではいつごろから鬼門のことを気にするようになったのだろう。古来、日本人にとって、己の都合で土地を動かすことは自然に対して恐れ多いことであったようだ。そのため、土地を動かす前に神にお伺いをたて、お断りすることが欠かせなかった。今でも田舎の方に行くと、屋敷の中に祠を見つけることがある。神、自然への畏敬の念を表わすために屋敷内に国津神を祀った跡だ。この国津神を祀った場所が鬼門の起源といわれる。
鬼門は中国と同じく東北方位にある。日本人は、日常の不浄が神から見えないよう、鬼門の方位を塞ぎたかったし、蒸し暑い夏はできるだけ開け放せるよう、家は開放的なつくりにしたかった。そこで、彼らは神を東北の方位に祀ることにし、この方位を鬼門とした。要領のよい祖先だと思う。
2010/01/03
忘れていたこと
(November 2009, my home town, Gunma, Japan)
そこは日本ではないようだった。暖かな陽が森に射し込んでいる。森の木々の向こうに青い空が広い。遥か水平線の先から穏やかに吹いてくる海風が心地よい。森の小径を歩くと小さな菜園があり、平屋の住宅が見える。
私は新しい住宅の提案を届けるために、そこに向かっている。A1サイズほどの大きさのモデルを携えて住宅に入る。他に二名の建築家が提案を届けに来ていた。二人の顔は見えない。三つのモデルが並べられた。私のモデルは白い紙でつくられていて、完成した住宅の姿を表現している。他の二つのモデルはいずれも完成していない。二人ともlegoのようなブロックで一部だけ組み立てている。
見ていると、二人のうち一人が話しかけてきた。「最初はつくれるところだけ造ればいい。後から付け足せばいいし、ほら。」彼は話しながらブロックをつけたり、外したりしている。「そうだよな、子どもの頃はいつもそうしていたな。」私は大切なことを思い出したような気がしていた。
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